
(この11月中旬に発売開始となった『川瀬巴水探索』文学通信の表紙カバー。絵は「潮来の初秋」で1942(昭和17)年制作。夕焼けをこれだけ美しく描いた版画はない。空の夕焼けと水面に反射した夕焼けの色が、橙色と桃色に微妙に描き分けられているところがポイント)
昨今、ファスト映画(数時間の映画を10分程度に短縮した映像)や「コスパ」をさらに推し進めた「タイパ」(タイム〈時間〉のコスパ)なる言葉を知りました。 気ぜわしい世の中になったと思っていましたが、ここまでくると、さすがに考え込んでしまいます。
私は、大学の授業で学生に、自分の目で見ること、自分の足で訪れること、自分の頭で考えること、この三つの大切さをよく言います。今の世の中は、この三つが蔑(ないがし)ろにされていると、強く感じるからです。別の言い方をすれば、この三つがなくても、困らない世の中になってしまったと言うことでしょう。
まず、自分の目で見なくなりましたね。テレビやネットで流れてくる大量の画像・映像を見て、それを目の当たりにしたような、またそこへ行ったような錯覚に陥ることがあります。でも、実際にその場に行けば、画像・映像とは全く違った世界がそこにあることに気付きます。だから、自分の足で訪れることが大切になってきます。今回の本で強調したことは、ここですね。
そして、自分の頭で考えること。これもなかなか出来にくくなくなりました。この「考えること」は「感じること」とは違います。「考える」ためには、ちょっとした努力が必要です。それは「調べる」ことです。昨今、大学に入ってきた学生と接していて気になるのは、学生たちが調べる習慣をあまり持っていないことです。分からない言葉や物事があれば、すぐに調べてみる、たとえ教師が言った言葉でも気になったら調べ直す、こういうことが大事です。中島みゆきさんのの言葉で言えば、自分の船は「おまえの手で漕いで行け」、他人に「おまえのオールをまかせるな」(『宙船』)ということですね。
ただ、こうしたことを言うと、昨今のテクノロジーを否定しているように思われるかも知れませんが、そうではありません。特に、ネットの有用性は極めて高いものだと思っています。たとえば、オンライン授業です。昨今、コロナが収まりつつありますので、従来の面会型の授業に戻っていますが、私は、授業の半分ぐらい(とくに講義)はオンラインですべきだと思っています。
オンラインの優れたところは、瞬時にして全世界と繋がることですね。世界各国の方々と繋がりながら授業ができます。これは全く新しい世界です。学生からしても、本当に聞いてみたい先生の授業をオンラインで聞くことができます。ただ、それだけではやはりだめで、それとは反対の、自分の目で見る、自分の足で訪れる授業の重要性が増します。
要するに、ネットとフットですね(笑)。
これからの大学に、教室はほとんど要りません。オンラインでつながれば、一堂に会する場は要りませんし(演習もネットで出来ます)、現場に行くには、教室を出る必要があります。つまり教室の時代は終わったということでしょうか。ここで長々と話は出来ませんが、教育にとって教室は一過性のものです。江戸時代まで、教育はほとんど現場で行われました(農家や商家)。私塾や寺子屋というものもありましたが、ごく一部でしたし、また寺子屋は今のフリースクールみたいなものですね。教室には近代国家からの要請という歴史性があります。
ところで、今回の本のテーマ「巴水の絵を持って小旅行に出よう」ですが、巴水の日記類や写生帖を見てびっくりしたのは、巴水は、年がら年中、旅に出ていることです。これは本当に驚くべきもので、とにかく巴水は家にじっとしていません。そうした旅好きの巴水の絵を理解するには、美術館や家で巴水の絵を鑑賞するだけでは無理ではないかと思います。
かの、同じ旅好きの松尾芭蕉も「古人のあとを求めず、古人の求めたるを求めよ」(『許六離別の詞』)と言いました。巴水に即せば、巴水の絵だけを見ずに、巴水が全国を歩きながら求めたものを考えよ、ということになるでしょう。
「巴水の会」で巴水の絵を持ちながら歩いた場所は、茨城県全体と、栃木や東京・千葉・北海道小樽といったところで、巴水の題材のごく一部です。これからも巴水を追いかけて小旅行を続けることになりますが、はてさてどこまで行けますか。。。
ただ、一部分の旅行でも、巴水への認識がずいぶんと変わりました。考えてみれば当たり前のことですが、巴水は旅をする前や旅行中に、様々な情報を得ながら旅をしていたと考えられます。今から見れば何気なく選んだように見える、絵の対象となった場所や土地でも、その裏には様々な情報・背景が交錯しています。その地に実際に足を運び、土地の方々とお話を交わすことで、その情報・背景が見えてきます。むろん、それは巴水の得たものの一部に過ぎないでしょうが、それを発見した時、知った時、何て言うんでしょうか、「巴水と繋がった」という実感が湧いてくるんですね。本当に。
これは何ものにも代えがたい喜びでして、巴水の会では大切にしているものです。全国の、巴水好きの皆さんにもぜひ体験して欲しいことだと思っています。
染谷智幸(川瀬巴水とその時代を知る会代表)
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